北原和夫
東京工業大学名誉教授、国際基督教大学名誉教授
日本基督教団三軒茶屋教会副牧師
I. 自己紹介
私は1946年新潟県長岡市で生まれました。その前年1945年8月1日から2日にかけて長岡市は空襲に遭い、市内は灰燼に帰しました。父は当時女子師範学校(戦後、新潟大学教育学部長岡分校となる)の物理の教師をしておりました。幸いキャンパスは空襲を免れたので、空襲で家を失った教員は家族とともに学生寮に住んでいました。実は私はその教員・学生の住む学生寮で生まれたのです。日々教員と学生がともに暮らす「学問共同体」という特殊な環境に、生まれてから五年間幼児期を過ごしたのでした。
1965年上京して東大の駒場キャンパスで学びました。そのとき「柏蔭舎聖書研究会」に参加したことが契機となり、1967年から2年間は本郷にありますキリスト教学生寮「同志会」ですごしました。ちょうど「東大闘争」たけなわの頃です。寮の先輩である薬学の石館守三先生、経済史の大塚久雄先生などの薫陶を受けました。
1969年卒業後理論物理の大学院に進み、修士論文のテーマは「非平衡・非線形の揺らぎと緩和」で、論文をまとめているときにベルギー、オランダで同様の研究が進んでいることを知りました。ベルギー政府の給費留学生の試験を受け、修士論文を提出して博士課程に進んでから、1971年9月ブリュッセル自由大学に行きました。結局3年近く滞在して1974年6月に博士論文を提出してから帰国。そして9月にマサチューセッツ工科大学の化学科にポスドクとして留学。ここで培った国際的なネットワークはその後の研究生活に大変役に立ちました。
1976年7月に帰国し、東大物理教室の助手となり、1979年4月に静岡大学教養部の助教授に任用されました。教養部では専門学部に進む全ての学生の基礎教育、教養教育を担当しておりましたので、大学全体がよく見えるところでもありました。
1984年東工大に移りました。所属した応用物理学科で担当したのは応用解析学講座で統計力学、微分方程式論の講義などを担当しました。他に同学科には、地球科学、応用物理実験、低温実験、原子核物理、物理化学などの先生がおられ、さらに長津田のエネルギー科学専攻と兼担でもありました。1989年半年間サバティカルを頂きオーストリアのリンツ大学でしばらく過ごしました。共同研究者はユトレヒト大学で学位をとりMITで一緒だったUrbaan Titulaer氏で、リンツ大学では理工学部長をしていました。 Urbaanはまた欧州の物理学生の大学間流動(Mobility Scheme of Physics Students)の推進役でもありました。リンツ大学に到着して間も無く、教授会で紹介するから、というので出席しましたら、何とその日の午前中に一緒に議論をしていた大学院生が学生代表で座っていました。あとでUrbaanに聞いたら、1960年後半の学生運動の結果、欧州では大学の運営に学生を参加させることが一般的になっていて、教授会には学生代表が出席するのだそうです。日本の大学紛争の収束の仕方とまるで正反対なのに驚きました。また、教授会は二時間が限度で前半と後半の間に10分ほどの休憩があり、茶菓がでる。ややっこしい問題の提案は前半の最後にして休憩に入り茶菓を頂きながらインフォーマルに議論をすると、会議場に戻るときには大体円満な結論になるという「議長のわざ」を教えて頂きました。
学生参加については、その後2011年12月にブリュッセルで開催された「大学教育の質保証」という会議に出席してさらに目を見張ることになりました。そこでは学長、行政官などに混ざって多くの学生たちがいたのです。大学の学生会のリーダーたちでした。そして最も重要なセッションの司会をしたのが、欧州学生会連合副会長の修士課程在学の女子学生。一時間半のセッションを見事にまとめました。大学教育の質保証のための人材がこのようにして育成されているのです。
1998年に国際基督教大学教養学部に移りました。学内の教員住宅に住み、教職員、学生たちとの密なる関係となり、幼児期の「学問共同体」を再体験することとなりました。2002年秋から一年間日本物理学会会長を務め、2003年秋から三年間日本学術会議会員を務めました。ちょうど2005年が「世界物理年」となり、物理学の啓蒙活動、女性物理学者の地位向上の運動(Women in Physics)、サイエンスにおける男女共同参画の運動、国際物理オリンピックへの参加などに取り組むこととなりました。
2011年にICUを退職し、都心の理科大に移り、仕事も物理学の研究というよりは、物理教員の養成、科学リテラシーの活動のほうに移っていきました。学位を頂いてから務めた大学が6ヶ所であり、多様な大学を見てきましたが、総じて学際的なところであったと思います。
II. 「科学リテラシー」から「大学教育の質保証」まで
(1)「科学技術の智」プロジェクト 1980年代から世界的には、「理科離れ」が大きなテーマとなりました。BSE、地球温暖化などへの対応など、市民が科学的知識と科学的思考によって、社会の課題について取り組みかつ判断することの重要性が認識され始めていました。米国においては、AAASが市民の「科学リテラシー」Science Literacyとして何が重要であるかを検討し、1989年にScience for All Americansを刊行しました。
http://www.project2061.org/publications/sfaa/online/sfaatoc.htm
これは2005年に国立教育政策研究所によって和訳が刊行されました。http://www.project2061.org/publications/sfaa/SFAA_Japanese.pdf
知っておくべき科学の内容を羅列するのではなく、分断化した科学的知識を横断する科学の本質、科学的な考え方の本質を明示しようとする試みでありました。
2003年に日本学術会議会員になったときは、日本の中で理科離れが深刻な状況にあり、科学リテラシー増進の世界の潮流に対して、日本でも何か対応をしようということで、「若者の科学力増進特別委員会」を設置しました。さらに2005年度から2007年度まで3年間かけて約150名の科学者、教育者、メディア、行政者、産業界の人々の参加により、日本学術会議の他に国際基督教大学、お茶の水女子大学、国立教育政策研究所も加えて「Science for All Japanese」を明らかにしようという活動を行いました。日本の言語、文化、感性を踏まえたサイエンスの本質を2008年に「科学技術の智」として提案することとなりました。
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-20-h64-3.pdf
http://literacy-report-web.scri.co.jp
またこのプロジェクトでは、British Councilの協力を得て、英国における「21世紀科学」(21st Century Science)のプログラムについて、拠点のヨーク大学と実施高校の実地調査を行う機会を得ました。知識よりも思考を重視する中等教育プログラムであり、技術、工学、医学、リスクにも配慮した理科教育でした。
https://www.york.ac.uk/education/research/uyseg/projects/twentyfirstcenturyscience/
(2) 大学教育の分野別質保証
2008年4月に文科省中央教育審議会は「学士課程教育の構築に向けて(審議のまとめ)」を公表しました。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/houkoku/080410.htm
この中で以下のような総括がなされています。
「グローバルな知識基盤社会、学習社会を迎える中、我が国の学士課程教育は、未来の社会を支え、よりよいものとする『21世紀型市民』を幅広く育成するという公共的な使命を果たし、社会からの信頼に応えていく必要がある。このため、今後、各分野の教育を振興する基盤づくりに向け、学協会や大学団体に対し、国として積極的な支援を行うことが必要である。最近では、細分化されていた協会の連合化の動きが進んできており、そうした基盤の素地もできつつある。このような 学協会等の役割に期待しつつ、これを促進し、かつ共通理解に立った対応がなされるよう、文部科学省として、日本学術会議に審議依頼を行い、各分野の学位水準の向上など 質保証の枠組みづくりに向けた取組みを進めていくことが適当である。」
その審議依頼を受けて、同年6月に日本学術会議に「大学教育の分野別質保証のあり方検討委員会」が設置されました。三つの委員会「質保証の枠組み検討委員会」、「教養教育・共通教育検討委員会」「大学と職業の接続委員会」を設けて審議を開始し、2010年7月に「回答:大学教育の分野別質保証の在り方について」を取りまとめて文科省に手渡すとともに公表しました。
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-k100-1.pdf
この中で質保証の枠組みとして、各学問分野の「参照基準」の策定を提案しました。 各分野の教育においてそのコアとして共有すべき基本を明示し、各大学の教育課程編成の際にそれが参照されることを通じて、大学教育の質保証に資することを期待するものです。各分野の参照基準は(1)分野の定義・特性、(2)全ての学生が身につけるべき基本的な素養、(3)学習方法・学習成果の評価方法に関する基本的な考え方、(4)市民性の涵養を巡る専門教育と教養教育の関わりという4項目について記述するものとしました。
参照基準の策定にあたり、各分野には固有の「世界の認識の仕方」と「世界への関与の仕方」があることを意識して、分野の定義・特性を記述することを求めました。
日本学術会議は、関連する学協会の協力を得て、直ちに各分野の「参照基準」の策定に取り掛かり、本年2月までに32分野について策定が完了しました。あと「教育学分野」が現在審議中という状況です。
経営学(2012/8/31)、法学(2012/11/30)、言語・文学(2012/11/30)、政治学(2013/9/10)、経済学(2014/8/29)、歴史学(2014/9/9)、地理学(2014/9/30)、心理学(2014/9/30)、文化人類学(2014/9/30)、社会学(2014/9/30)、地域研究(2014/9/30)、 社会福祉学(2015/6/19)、哲学(2016/3/23)、サービス学(2017/9/8)、 家政学(2013/5/15)、農学(2015/10/9)、薬学(2017/8/17)、看護学(2017/9/29)、歯学(2017/9/29)、医学(2017/9/30)、機械工学(2013/8/29)、数理科学(2013/9/18)、生物学(2013/10/9)、土木工学・建築学(2014/3/19)、電気電子工学(2014/7/29)、材料工学(2014/9/1)、地球惑星科学(2014/9/30)、統計学(2015/12/17)、情報学(2016/3/23)、物理学・天文学(2016/10/3)、計算力学(2017/8/8)、化学(2019/2/21)
(3)科学技術の智NEXTプロジェクト
2011年3月11日の「東日本大震災」は、科学技術に関する正しいコミュニケーションとは何か、を考えさせる大きな事件でした。技術には「絶対安全」はなく、コストと有効性の間のトレードオフで仕様が決まる「暫定的」なものであること。安全のための基準値もその境で白黒が明確になるのではなく、一応の目安にすぎないこと。全ての要因を取り入れた結果ではないので、確率的であること。さらに、技術だけでなく、科学自体も絶対的ではなく暫定的なものであり、修正されていくべきものであること。むしろ「修正可能性」こそ科学の本質であるということ。それらのことを全ての市民が知っている必要があるのです。
さらにいえば、政治制度としての民主主義の多数決原則は、決して「正解」を求める手段ではなく、「暫定解」を求める手段です。従って決定のときに反対者がいることは極めて重要で、修正可能性を残すことになります。「全会一致」は後戻りできないという意味で危険な選択になりかねません。リスクを含めた新しい「科学技術の智」については科学研究費基盤研究C「分野横断的な科学リテラシーの創造とそれに向けたプラットフォーム構築に関する研究」(2016年度—2018年度)を実施。「科学技術の智ラボラトリー」を立ち上げつつあります。
http://literacy.scri.co.jp
(4)参照基準の実装化に向けて
「参照基準」を実装化するための方法を探るために、科学研究費基盤研究B「参照基準の利用状況を通した大学教育のカリキュラム改善に関する組織文脈的要因の考察」を2017年度から2019年度の3年間実施しています。
2018年9月24日国際基督教大学においてシンポジウム「分野別参照基準の目指す大学教育の質保証」を開催した。基調講演としてカナダのマギル大学名誉教授Janet Gail Donald先生のLearning to think: Disciplinary Perspectivesと京都大学教授松下佳代先生の「分野別参照基準と学習効果:分野固有性、分野横断性、汎用性」、そして討論を行いました。知識よりも思考が大事であること、その思考も分野独自のものがあること、また参照基準は分野間の相互理解と協働にとって有効であるとの指摘がありました。大学の中に多様な分野があるときに、それらが何らかの相互作用をすることが大学としてあるべき姿ではないか、という議論もありました。
またこの科研費によっていくつかの大学に出向いて教員たちの率直な意見を聞くことも行いました。参照基準は理想論であるとの指摘も確かにあります。いずれにせよ現場の教員との協働によって改定作業を行う必要性はあると考えています。
さらに海外の調査活動も行ないました。もともと参照基準の考え方は、英国のQAA(Quality Assurance Agency, https://www.qaa.ac.uk)が2010年頃から行なっている大学教育の質保証のための分野別ベンチマークSubject Benchmark Statementを参考にしたものです。現在QAAのSubject Benchmark Statementは61分野について策定されており、策定後も学生団体、経済界から意見聴取をして改定作業を進めているとのことです。
Accounting (2016) Agriculture, Horticulture, Forestry, Food and Consumer Sciences (2016), Anthropology (2015), Archaeology (2014), Architectural technology (2014) Architecture (2010), Area Studies (2016), Art and Design (2016), Biomedical science (2015), Biosciences (2015), Business and Management (2015)、Chemistry (2014) , Classics and Ancient History (including Byzantine Studies and Modern Greek) (2014), Communication, Media, Film and Cultural Studies (2016) , Computing (2016), Counselling and psychotherapy (2013), Creative Writing (2016), Criminology (2014), Dance, Drama and Performance (2015), Dentistry (2002), Dietetics (pre-registration) (2017), Early childhood studies (2014), Earth sciences, environmental sciences and environmental studies (2014), Economics (2015) Education Studies (2015), Engineering (2015), English (2015), Events, Hospitality, Leisure, Sport and Tourism (2016), Finance (2016), Forensic science (2012), Geography (2014), Health Studies (2016), History (2014), History of Art, Architecture and Design (2016), Housing studies (2014), Landscape Architecture (2016), Land, Construction, Real Estate and Surveying (2016), Languages, Cultures and Societies (2015), Law (2015), Librarianship, Information, Knowledge, Records and Archives Management (2015), Linguistics (2015), Materials (2017), Mathematics, Statistics and Operational Research (2015) , Annex to Mathematics, statistics and operational research to cover integrated master’s degrees (2009), Medicine (2002), Music (2016), Optometry (2015), Osteopathy (2015), Paramedics (2016), Philosophy(2015), Physics, Astronomy and Astrophysics (2016) Politics and International Relations (2015) Psychology (2016), Social Policy (2016), Social Work (2016), Sociology (2016), Theology and Religious Studies (2014), Town and Country Planning (2016), Veterinary Nursing (2015), Veterinary science (2002), Welsh (2016), Youth and Community Work (2017).
各分野のBenchmark Statementは、我々の「参照基準」のようにフォーマットが統一されているわけではないのですが、分野の定義、特性、基本的な知識と能力、教育の評価については提示されています。
欧州においては、Groningen大学を拠点としてTuningというプロジェクトがあります。分野別に教育課程を編成するためのガイドラインとしてReference Pointsが策定されています。ここでも学生団体、経済界からの意見聴取をして改定作業を行っていました。各分野の履修によってどのような能力が期待されるのかを詳細に規定しているものです。欧州においては、国際的な学生流動として「エラスムス」、「ソクラテス」が推進されていますので、教育のレベルの標準を作ることが重要とされています。現在までに策定されている分野は次の30分野です。(https://www.calohee.eu/brochures/)
Agronomy, Architecture, Business, Chemistry, Civil Engineering, Earth Science, Ecology, Economics, Education, Environmental Engineering, European Studies, Foreign Languages, Gender Studies, History, Informatics, Interpreting and Translation, Laws, Linguistics, Library Studies, Mathematics, Medicine, Music, Nursing, Occupational Therapy, Physics, Psychology, Social Work, Theology and Religious Studies, Tourism
英国のQAAによるBenchmark Statementと欧州のTuning projectのReference Pointsは、その考え方においては「参照基準」と通じるものがあります。教育内容に踏み込んで大学教育の質保証をして行くということであり、学びのコアを提示し、また履修によって備えるべき能力を提案するものです。我が国の「参照基準」は多様な大学の現状を考慮して、やや抽象度の高い表現をとっており、教育課程の詳細な編成は各大学で具体化していくことを勧めています。現在やっと出揃ったところなので、今後は教育現場の声、学生たちの声、社会の声を聴きながら改定作業を進めるべきでありますが、日本にはQAAやTuningのような推進団体が存在しないのが弱点です。おそらく今後の方向としては、いくつかの似たような条件下にある大学が協働して具体的な教育課程を作り、単位互換などで協力し合うのが良いのではないかと思われます。
III. 参照基準から見えてくるもの
実際に具体的にいくつか参照基準の内容について触れたいと思います。
まず最初に策定された「経営学分野の参照基準」
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-22-h157.pdf
では、経営学を以下のように定義しています。
「経営学は、営利・非営利のあらゆる継続的事業体における組織活動の企画・運営に関する科学的知識の体系である。営利・非営利のあらゆる継続的事業体の中には、私企業のみならず国・地方自治体、学校、病院、NPO、家庭などがある。…営利・非営利の継続的事業体はそれを取り巻く社会と相即的に発展する必要があり、社会秩序全体との整合性を自己点検する必要がある」
つまり倫理的であることを教育に求めています。私自身、経営学の先生がたの議論に毎回陪席しておりました。各論部分に関わる多数の学会が集まって「経営学の教育とは何か」を熱く議論しているのを見るのはとても爽やかなものでした。
工学分野の参照基準は以下のものです。
機械工学:http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-22-h130819.pdf
土木工学・建築学http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-22-h140319.pdf
電気電子工学:http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-23-h150729.pdf
材料工学:http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-22-h140901-1.pdf
それらを通して読むと、工学の普遍的定義が見えてきます。例えば、機械工学とは「エネルギー・情報を機械(machine)によってより良い機能に変換する学問である。」としています。電気電子工学は「エネルギー・情報をエレクトロニクス(electronics)によってより良い機能に変換する学問である。」つまり、原材料があって、それをデバイス(道具・媒介)によって、より良い機能に変換するのが工学であるということになります。確かにそうだ、と思うわけですが、大事なことは、「より良い機能とは何か」を意識することも工学の重要な部分であるということを「参照基準」は求めているのです。したがって、人文学や社会科学あるいは芸術などの素養が必要であるということになります。その変換のデバイスを作動させるためには、物理学や化学など理学の素養が必要であることはいうまでもありません。
言語・文学の参照基準(http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-22-h166-3.pdf)において、「言語・文学は人間の創造性と連帯の基盤である」と述べています。現在「文学部」という看板を下ろしている大学がかなりあり、文学部のミッションが揺らいでいて危機感がありました。人間性と市民性の涵養という意味で教養教育への貢献が大きいということも指摘しています。
「参照基準」はもともとは個々の大学で教育課程編成の際に参考とするために策定されたものでありますが、出揃ったものを通して読んで見ますと、学問を俯瞰するという意味もあるように思うのです。特に各学問分野の内部でさえ各論にこだわりすぎて学問の全体像が見失われがちの状況の中で、「参照基準」の策定は、各学問分野が「世界の認識」と「世界への関与」という視点で見たときのいかなるものなのかを再認識し、分野としてのアイデンティティーを確認する機会ともなります。また他の分野に関わる人々にとっては、その分野の目指すところを理解するための一助となるかもしれません。中等学校の生徒・教員にとっては大学でどのような学問の活動が行われているのかを知ることで、進路指導に役立つかもしれません。大学の卒業生を受け入れる社会にとっては、学生たちが何を学んできたのかを知ることになるかもしれません。つまり、大学外の人々にとって大学教育が透明性をもってくることが期待されます。こうして社会全体が大学とともに、より良い世界の構築に向けて協働することを可能にするのではないでしょうか。
近年、大学に対して政府や社会から、カリキュラムポリシーを明示せよとか、ディプローマポリシーを明示せよ、ガバナンスの仕組みを明示せよ、挙げ句の果てに当大学が研究中心大学なのか、教育中心大学なのかといった色分けをせよ、とか様々なことが求められて、対応に追われている感じがあります。さらに対応を敏速にしないと補助金に影響するということもあります。その背後には、大学は研究・教育をいい加減にやっているのではないか、という歪められた認識が、政府や産業界、社会にあるのではないか。でも本当に大切なことは、教育の内容であり、学問の内容であり、その点に関して、多くの教員と学生は真面目にやっているのであり、「参照基準」の策定はその中の一つとして大学の枠を超えた運動として取り組まれているということをもっと世間に知らしめる必要があります。
IV世界への関与
「科学リテラシー」、「大学教育の質保証」のプロジェクトを進めてきて、分野の学びの中に、「世界の認識の仕方」だけでなく「世界への関与の仕方」という要素を考慮する「参照基準」の策定作業に関わってきました。私自身、2011年から神学を学ぶ機会を得て、「世界への関与」ということが、人間存在の本質ではないかと気づかされました。近代の市民社会においては個人が重視され、近代の市民社会を生み出す発端となった宗教改革は、個人と神との直接的結びつきを重視してきたように思われますが、実は聖書をよく読むと、聖書では人間が集団として神と結びつくということの重要性を認めているように思うのです。
4世紀の教父であるニュッサのグレゴリウスは「雅歌講話」という書物を書きました。「雅歌」という書物は旧約聖書の中でも異色の文書で説教にはあまり使われません。「雅歌」には、「神」という言葉も、「主」という言葉も出てきません。人間同士の愛を述べた詩でありますので、なんとも教訓的でない、これが聖書なのか、と思わせるものです。雅歌のテーマは、まさに愛の関わり、生きている人間がもつ他者との関わりそのものを神は嘉みしたもう。そして他者との関わりの中において、神に与ることの意味を知らされる、神のわざに与ることの意味を知らされる、そいう考え方を提示しているように思います。
「与り」participationについて、アウグスティヌスは「三位一体論」第14巻26節で次のように述べています。「聖書において知識(scientia)から区別されて、特別に知恵(sapientia)と名付けられるこの観想的知恵は、理性的(rational)かつ知解的(intellectual)な精神を関与によって(participation)真に賢くすることができるかたによるのでなければ人間に属さない」
つまり参照基準の考え方として「世界への関与」ということを入れたのですが、神学的に言えば、私たちが、「関与」ということをいう時に、単に一緒にいるということ以上に、より高い徳性に共に与るという意味があると思うのです。
「関与」についてニュッサのグレゴリウスはmetousiaというギリシャ語を使っています。精密にいうと、神性への関与(与り)については、metousiaであり、ousiaは「本質」を表します。人と人のつながりについてはkoinoniaという言葉を使っています。その際、人と人との真実なつながりは、本質を媒介とすることによって、つまりmetousiaがあって初めて可能なのであるとしているように思われます。
「ところで、神の言葉そのものはその声を通して聞く者に浄い力の交わり(koinonia)を与えてくれるので、この『雅歌』の言葉は神性そのものに与って(metousia)いる。」(「雅歌講話」第三講話71節)
また、我々が、様々なつながりの中での存在であるという認識について、日本の文化を見直してみると、私たちが再評価すべきものがいくつかあります。まず、日本人は伝統的には、ものを大切にし、自然を破壊することなく巧く利用する技術を発展させてきたのです。また、人間を自然の一部と位置づけてきました。僅かな資源で象徴的な高い精神性の世界を作ってきました。熱いときに扇風機を回すのではなく、風鈴の音で涼しさを感じてきた、というところがあります。日本の動物分類は、人間との関係性で表現されていました。「人」「獣」「鳥」「魚」「ムシ」、関係なさそうなものを全部「ムシ」としていたようです。
結局、私が「科学技術の智」、「参照基準」プロジェクトに関わってきて到達したところは、我々の存在を時間、空間,また人類、生物種の広がりの中に位置づけて、そこに関与することにより、高い精神性、徳性を頂くことになるということではないか、と思うのです。